私は、二人目妊娠中に「切迫流産・切迫早産」で3ヶ月半の長期入院を経験しました。
切迫流産宣告~入院までの流れを紹介します。
私は、2人目妊娠中の妊娠20週に切迫流産と診断されました。
そして、入院期間は「3ヶ月半」という長期入院でした。
2人目妊娠中なので、もちろん、上の子がいる状況での急な入院生活。
当時、上の子はまだ1歳8ケ月でした。
私が入院したら…
「娘のお世話は誰に頼めばいいの…?」
「すぐ退院できるの…?」
突然の入院宣告にとてもパニックになりました。
一人目妊娠中は、何のトラブルもなく順調な妊娠生活を送っていました。
そのため、切迫早産と診断された時は「まさか、私が!?」と頭が真っ白になりました。
妊娠中のトラブルは「誰でも」「突然」やってきます。
この記事では、私が産院で「切迫流産」と診断されてから、
入院するまでの経緯と流れを詳しくご紹介します。
「もし切迫流産、切迫早産で入院することになったら…」と
考えるきっかけになると嬉しいです。
切迫流産とは?
切迫流産とは「流産になりかけている状態」のこと。
つまり、妊娠22週未満で、流産の恐れがある場合のことを言います。
私が「切迫流産」と診断されたのは妊娠20週の時。
妊娠22週未満だったので「切迫流産」と診断されました。
「子宮頚管が短い」というのが理由でした。
切迫早産とは?
切迫早産とは「早産になりかけている状態」のこと。
つまり、通常よりも早い段階(妊娠22週~36週)で
赤ちゃんが産まれてしまいそうな状態のことを言います。
私は最初は「切迫流産」と診断されましたが、週数が22週を超えたら「切迫早産」に変わりました。
切迫流産の前兆・予兆はあった?
予兆はありました。
妊娠20週の時、下腹部に強い痛みを感じました。
「生理痛」のような痛みでした。
少し安静にして様子を見たのですが、痛みが治まらなかったのです。
前日までは、そのような痛みは一切なかったので、
「何か変だな…」と思い、通っていた産院に電話で相談しました。
私の場合は、前兆・予兆は「下腹部の痛み」のみで、出血はありませんでした。
妊娠20週だったので「お腹が張る」という感覚もまだなく、
異変として感じたのは「下腹部の痛み」のみでした。
異変を感じてから、入院までの流れは?
「下腹部の痛み」を感じてから、入院に至るまでの流れをご紹介します。
①下腹部に痛みを感じる
いつも通りに朝起きると、すぐに下腹部に痛みを感じました。
出血・お腹の張りもなかったので、少し安静にして様子を見ました。
痛みには波があり、ずっと痛いわけではありませんでした。
でも、治まる様子はなく、痛みが続いていたので「これはおかしい…」と思いました。
②産院に電話で状況を説明
この日は検診日ではありませんでしたが、この腹痛を相談するために電話をしました。
「出血はない、お腹の張りも感じない、でも生理痛のような痛みがある。
安静にしても良くならない。」
という状況を伝えました。
「診察してみるので、来てください。」と言われたので、1歳8か月の娘と一緒にタクシーで産院に向かいました。
この時は、まさか入院になると思っていなかったので、必要最低限の荷物のみ持って行きました。
バタバタしていたので、スマホの充電も半分くらいのまま出発しました。
スマホ充電をしっかりしていなかった事に、のちほどとても後悔することになります…
③診察の結果「切迫流産」と判明
産院に到着し、診察をしてもらい、子宮頚管を測ると…なんと15㎜!
先生がめちゃくちゃ焦っていました。
すぐに「切迫流産」であることが判明しました。
子宮頚管長とは子宮の入り口の長さのことです。
子宮頚管長が短いと流産・早産のリスクが高くなります。
妊娠30週未満であれば、40㎜以上だと安心とされています。
30㎜~35㎜の場合は要注意で、安静が必要になる場合もあります。
私はまだ20週なのに、15㎜だったんです。
相当、危ない状況だったことに気が付きました。
④即入院と宣告される
子宮頚管が短く「切迫流産」と診断されると同時に「即入院・絶対安静」を告げられました。
歩くことも危険なので、もちろん荷物を取りに自宅にも帰れません。
私の通っていた産院では切迫流産の入院は受け付けていなかったため
大きい市立病院に入院することになりました。
市立病院に移動するために、私は救急車で搬送されることになりました。
ここで大きな問題が…
「救急車に子供は乗せられないので、お子さんをどなたかに預けてください」
と言われたんです。
その時は平日の10時でした。
私の実家は遠方で、同じ市内に住む義両親は仕事をしていました。
旦那も仕事中で、すぐに来れるわけがない。
「どうしよう!!!!!!!!!!!!!!!」
1歳8か月の娘も長時間の病院に飽きていてグズグズ…涙
なのに、抱っこも禁止され、お菓子をあげて何とか機嫌を取ることが精一杯。
もう、頭が真っ白になり、涙が止まりませんでした…
まず、今すぐに娘を迎えに来てくれる人を探さないといけない。
娘は保育園には行かず、毎日私と過ごしていたので、
明日から娘のお世話をしてくれる人を探さないといけない。
急な展開で対応が追いつく気がしませんでした…
⑤とりあえず旦那に電話
とりあえず、早急に旦那にこの状況を伝えなければ!と思い、泣きながら電話をしました。
旦那は仕事中でしたが、電話に出れる状況だったのが不幸中の幸いでした。
旦那に使えたことは以下のことです。
- 私が「切迫流産」で入院になったこと
- 娘を今すぐ誰かに預けないといけないこと
- 明日から娘の日中のお世話は誰に頼めばいいのか
- 私の生活用品を市立病院まで持ってきてほしいこと
相談した結果、運よくこの日は義母の仕事がお休みだったので
義母が娘を迎えにきてくれることになりました。
旦那は仕事をすぐ早退して、搬送先の市立病院まで来てくれることになりました。
明日以降の娘の預け先はとりあえず後で考えよう!という事になりました。
そして、スマホで調べたり、電話をしたりしたせいで、充電が20%を切りました。
モバイルバッテリーや充電器は持ってなかったので、ハラハラ…
しかっり充電していなかった事を後悔し、モバイル充電器を買うことを心に決めました。
⑥義母に娘を引き渡す
急いで駆けつけてくれた義母に娘を預けましたが、娘は状況が理解できないので大泣きです。
もう仕方ないので、大泣きのまま連れて行ってもらいました…涙
まさか、この後3ヶ月半も娘と会えないなんて思いもしませんでした…涙
⑦救急車で市立病院まで搬送
娘もいなくなり、私はやっと救急車に乗り込みました。
そして、入院先の市立病院まで搬送されました。
入院中、上の子はどうする?
入院になった日から5日間は旦那が仕事を休んで、娘のお世話をしてくれました。
その休みの5日間の間に、何個かの保育園に状況を相談して、週3日は保育園の一時預かりを利用できることになりました。
義母にもお願いして、残りの週2日は義母に預けることになりました。
平日5日間は保育園と義母に、土日は旦那が娘をお世話してくれました。
周りの人の協力のおかげで、なんとかなり、ホッとしました。
しかし、自分のせいで皆に迷惑をかけてしまってると思い、申し訳ない気持ちになりました。
そして、私の入院していた病院は子どもとの面会は禁止だったので、
入院期間の3か月半、娘に会うことが出来なかったのです。
まとめ
異変を感じてから入院に至るまでの流れを具体的にご紹介しました。
「切迫流産」「切迫早産」は誰にでも起こる可能性があります。
そして、それは本当に突然のタイミングでやってきます。
「私には関係ない。」と思わないで下さい。
「万が一、私が入院になったら…」
と、万が一の時の対応をある程度考えておくことをオススメします。
一人目妊娠なのか、二人目以降の妊娠なのかで対応は全然違います。
ママが働いているのか、働いていないのかでも対応が違います。
家庭環境・生活スタイルによって対応が変わるので、ご自身の場合に置き換えて考えてみてください。
私は何にも考えていなかったので、大変な思いをしました。
私の体験談が誰かの参考になれば嬉しいです。
具体的な入院生活の様子や、入院費については
次の記事で解説します。
コメント